ご由緒

❖ 御祭神

  • 素戔嗚尊 スサノオノミコト
  • 櫛稲田姫尊 クシイナダヒメノミコト
  • 大山津見神 オオヤマツミノカミ

「八雲神詠」素戔嗚尊御歌

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を

八岐の大蛇を退治なされて稲田姫命を娶られて、出雲の須賀の地に至りて「我が心須賀須賀斯(すがすがし)」と宣われて、宮を作りて住まわれ瑞雲の立ち騰るを御覧になって、この歌を詠まれた。これが我国和歌の起源である。

❖ 新宮神社由緒

当社は霊亀元年(七一五年)九月 第四十四代 元正天皇の御代、奈良時代の創建。以来信楽町大字長野、神山、江田、小川の産土神と遍く尊崇され、社号を新宮大明神と尊称した。曽て近衛関白家を始め、近江の守護佐々貴氏等の信仰篤く、代々当社の境内神領等の寄進があった。 南北朝の戦(一三三六年)の兵火にて焼失し、再建され其後、大風の為、本殿大破し寛文三年(一六六三年)十一月十九日再建。現今の本殿即ちこれ也。

明治九年十月村社に列し、大正二年四月十日神饌幣帛料供進神社に指定せられ、大正十三年郷社に昇格。現在は信楽郷の一の宮として篤く崇敬されている。

御祭神の大山津見神は信楽町大字長野字西出、字川東に山神社として二社鎮座、大正四年五月三十日当社に合祀した。